● こんちは、あさてつです。
以前、夏目漱石の作品タイトルや有名フレーズの英訳をご紹介しました。
今回はその第二弾として、泣く子も黙る 太宰治先生 のものをピックアップしていきたいと思います。
独特な生き様や世界観を如何に表現しているのか……日本語のものをちゃんと読んだことがない!という人も、これを機に日/英ダブルで知ってみてくださいね!
目次
「走れメロス」
太宰氏といえばこれ!定番中の定番ですね。まずはこれの英題を考えてみて下さい。
Run, Melos,Run
となります。Run, Melos! とかMelos, Run! とシンプルに英題を付けている翻訳のものもありますね。邦題の歯切れの良さをそのまま活かしてあるのが印象的です。
「メロスは激怒した」
この書き出しですよ!シンプルなタイトル、シンプルな冒頭。ストーリーの初っ端からキレてる男ってやばくないか?と読者をぐっと引きこんでくれますよね。
さて、皆さんならこれをどう英訳しますか?Melos got angry. なんてレベルじゃありません。「激怒」ですからね。
Melos was enraged.
enrageはもともとは「人を怒らせる」という動詞です。それを受け身にすることで「怒らせられた」→「怒った」と表現しているのですね。
しかもこの表現を使えば「ひどく怒る」という意味を表すことができるので、まさに「激怒した」にぴったりな表現です。
「人の心を疑うのは、もっとも恥ずべき悪徳だ」
王に向ってメロスが浴びせる言葉ですね。これは文学作品を超えた「名言」とも言えるのではないでしょうか。
To doubt the hearts of men is the greatest, most shameful of evils.
To doubtで「疑うこと」と主語にしています。
そして後半はmost shameful「最も恥ずかしい」とほぼ直訳されていますが、greatestを一度挟んで「最も」を強調しています。
最後のevilは「悪い」「邪悪な」という意味を持つ形容詞ですが、「道徳上の悪」「害悪」「邪悪」などの名詞としても使われる単語で、もともとは「限度を超えている」という意味がありました。
「許しがたい悪」といった、強いネガティブなイメージを強烈にぶつけているのですね。王に対して強く主張したメロスの態度が重なりますね。
「殺されるのは私だ。メロスだ!」
セリヌンティウスが磔にされている広場に戻ってきたメロスが叫んだシーン。個人的には一番好きなシーンだったりします……
この、「バアアアアアアアアン!!」という、漫画だと集中線とかが入りそうな感じ(笑)英訳は、実は3文になっています。
It is I! I am the one to be put to death. I am Melos.
It is I!直訳すると「それは私だ!」になりますね。ここからわかる通り、「自分だぞ」というのをとても強調しています。
続く2文目も「私がその殺されようとする人間なんだ」と強調しています。
なんでこんなに強調を?と疑問に思われるかもしれません。実はこのセリフの前には「私だ、刑吏!」という言葉が入っています。
ここが英語ではExecutioner!という呼びかけだけになっていて、「私だ」が一つ分減っているんですね。その分、ここで補って「私だ」と強調する回数の帳尻合わせをしている……というわけなんでしょうね。
「信実とは、決して空虚な妄想ではなかった」
人間不信に陥り、メロスを馬鹿にした王が、そのメロスの行動によって心を打たれたシーン。「信実」は「まじめ」「誠実」といった意味の言葉ですね。
信念を貫いたメロスの、そしてその友情を信じていた友人・セリヌンティウスの態度そのものといったところでしょう。
Trust between men is not just an empty illusion.
Trustは「信用」「信頼」という意味の名詞です。「信実」の文字自体は英和辞書でtrustを引いても出てきません(辞書にもよるのかもしれませんが)。
「信実」自体、日本語の中でもあまり見かけることはないので仕方がないことなのかもしれませんが、ちょっと残念ですね。
「空虚な妄想」をan empty illusionとほぼ直訳していたことには、驚かされますね。emptyは物理的な「からっぽ」以外にも、こうした比喩的な「からっぽ」にも使える単語なんですね。
「人間失格」
他の太宰治先生の有名どころとしては、こちらの作品。主人公・葉蔵が自身の人生を独白形式で語っていくストーリーです。
太宰氏はこの作品を書き上げた一月後に愛人と入水自殺をしてしまっており、まさに彼の遺作ともいえる作品です。英題は
No Longer Human
となっており、直訳すると「もはや人間ではない」という意味になってしまいます。
他人とうまくかかわれなかったこと、関わるためにわざとおどけたふりをして性格が歪んでいってしまったことなどが語られていて、「人間だからこその悩みや失敗」といった内容にはなっているのですが、この英題がメジャーなようです。
「恥の多い生涯を送って来ました」
メロスに続き、印象的な書き出しからスタートしていきます。「生涯を送る」というフレーズをそのまま英訳しようとすると、なかなかにてこずりそうです。
Mine has been a life of much shame.
こちらが実際に出版されている英訳の表現。いきなりmineが出てきて、ちょっと混乱した方もいらっしゃるでしょう。
This book is mine.
「この本は私のものだ」
という形で学習していますよね? This book is my book. としてしまうとbookが重複するので、それを避けるためにmineを使うという、中学1年生で学習する所有代名詞(I-my-me-mineの4番目のことです)の基本的な使い方です。
ですので、いきなりmineから始まってしまうと、どうしても見慣れていないので戸惑うのは当然っちゃ当然なんですね。
そこで覚えておきたいのは、「所有代名詞は (所有格)+(名詞) の役割を果たす」という、所有代名詞の根っこの部分です。
今回は後ろにa lifeがあります。ここを受けて、my life → mineとしているんですね。直訳すると、「私の(人生)は、たくさんの恥の人生でした」という感じでしょうか。
日本語でも印象的な書き出しが、Mineで始まるような、英語でも印象的な文になっているのはとても文学的でおもしろいですね。
「自分には、人間の生活というものが、見当つかないのです」
先ほどの文に続くこちら。皆さんなら、どのように訳しますか?
I can’t guess myself what it must be to live the life of human being.
これは、サイデンステッカーという方の訳です。彼は川端康成先生の「雪国」の冒頭、「トンネルを抜けると、そこは雪国でした」をThe train came out of the long tunnel into the snow country. と主語を補ったことで有名でたびたび話題に上がる訳者さんです。
名訳とも言われますが、賛否両論あるようです。日本語の「主語を抜いた文学的情緒あふれる表現」も英語の「主語を明示してはっきりと景色を描かせる表現」もどちらも素敵ですけどね。
さて、話を戻しまして、今回の文章。I can’t guess myselfと「自分自身が推測できない」としているのが特徴的ですね。続くwhat it must beで「(自分自身が)何であるべきか」というようにmyselfを修飾しています。
一瞬、関係代名詞のwhatかな?とも思ってしまうのですが、「何」という意味合いを補うような役割をさせれば解読できそうですね。ラストto live the life of a human being.「人間の生活を生きるために」といった形でつなげています。
「私は、人間の生活を送るために自分自身が何であるべきなのかがわからない」といった直訳になるでしょうか。この後、主人公が周りとうまくやっていくためにおちゃらけたキャラを演じる(実際の原文にも「そこで考え出したのは、道化でした。」というフレーズがあり、まさにピエロのように演技をしていく様子が描かれていきます)展開を考えると、「自分自身がどうあるべきか」という視点からきりこんだ英訳はとても秀逸な気がしますね。
あとがき
さて、いかがでしたでしょうか。
夏目漱石先生に続き太宰治先生をピックアップしてみました。
個人的には、「人間失格」の第二章「弱虫は、幸福をさえ恐れるものです」のあたりもご紹介したかったのですが、また次の機会(あれば、ですけど)にでも……。
また、太宰先生の作品はこれ以外にも「斜陽」「女生徒」など、更には様々な短編がまだまだあります。英訳されている作品は少ないのですが、その分、自分で英訳にチャレンジしながら読んでみるのもいい勉強になるかもしれませんね。
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