● こんにちは、あさてつです。
唐突ですがこの言葉を聞いたことがないでしょうか。
God created everything by number, weight and measure.
「神はすべてを数と重さと尺度から創造された」
神という宗教的、非現実的な言葉を使っているにもかかわらず、数、重さ、尺度という科学的な視点を持った言葉ですね。
これは、近代科学文明の成立に影響を与えたニュートン(Sir Isaac Newton)の言葉です。物理学や数学、天文学の分野で活躍していた彼ですが、実は「哲学者」という肩書も持っています。そのせいか、彼の遺した言葉には人間の存在や生き方に対し核心を突いてくるようなものもあります。
今回はそんな彼の言葉を存分にみなさんと共有したいなと思います。ぜひ彼の含蓄ある言葉を英語で触れてみようじゃないですか。
目次
これがニュートンの震えるくらいの名言だ
If I have ever made any valuable discoveries, it has been owing more to patient attention, than to any other talent.
「もし私が価値ある発見をしたのであれば、それは才能ではなく忍耐強く注意を払っていたことによるものだ」
以前ご紹介したアインシュタインを始め、知識人は好奇心や勤勉さといったものを重視しているのですね。
この言葉には、更に「継続」というものが加わっているようにも思えます。「継続は力なり」という言葉もありますね。私はこの言葉を体現しているような人間なので、これには非常に賛同しているのですが、ニュートンも同じように考えていたと思うと、ちょっと感慨深いですねw
彼はこの「忍耐」という考え方を次の名言にも反映させています。
By always thinking unto them.
「年がら年中、そのことばかりを考えていただけです」
いや、この言葉は本当に深いと思います。それほどまでに熱中できることがあったというのもまた素晴らしいですし、何よりそこに専心することができたというのもまた尊敬できますね。
If I have seen further it is by standing on the shoulders of giants.
「私が遠くを見ることができたのは、巨人たちの肩に乗っていたからです」
哲学者らしい比喩表現ですが、恐らくこの「巨人」は「先人たち」ということなのでしょう。彼は先行研究をしっかりと心得た上で様々な実験や研究を続けていっていたのですね。
日本にも、「守・破・離」という言葉があります。古典芸能の世界でよく使われる言葉だそうです。これも、まず第一ステップとして「守」、つまりは師匠の教えを忠実に「守」るということを挙げています。いきなり独自性なんて発揮しても、高が知れているというか、あまり効率が良くないということなのでしょうね。
I frame no hypotheses.
「我、仮説を作らず」
理科の実験などではまず初めに必ずと言っていいほど「仮説」がありますね。もっと言うと私はいつでも仮説だらけ(笑)しかし彼はそれを否定したわけです。
これは私見ではありますが、恐らく彼は「仮説」というものをすなわち「思い込み」あるいは「先入観」とみなしていたのだと思います。そうすると、思い込みの中で実験や研究をすることになり、視野が狭くなってしまったり見落としが出てしまったりするということなのでしょう。
ここ最近では、授業時間数の関係で理科の実験を行わずに仮説や結果だけを覚えさせるような授業になっているところもあるようです。もちろん、一部の単元であったりするのでしょうけれど、それではただの暗記になってしまい、つまらない勉強になってしまいます。ニュートンの考えを教育機関でもうまく活用していけたら素敵だと思うんですがね。
A man may imagine things that are false, but he can only understand things that are true, for if the things be false, the apprehension of them is not understanding.
「人間は事実に反することを想像してもよいが、事実しか理解することはできない。事実に反することを理解したとしても、その理解は間違っている」
やや長い言葉ですが、さっすが理科分野の学者さん!と思わず頭を下げてしまうような名言です。理科分野においては特に、「実証されたもの」というのが大切になってきますよね。
事実に反することを理解しても、それは間違いだ、と言い切るところに彼の科学者としての信念が伺える、深い言葉です。
Truth is ever to be found in simplicity, and not in the multiplicity and confusion of things.
「諸物の多様さと混乱のうちにではなく、つねに単純さのうちに真理は見出される」
シンプル イズ ベスト といったところでしょうか。
確かに、雑多な物事の中には当然不規則的なものが混ざっていて、規則的なもの=法則なんぞは見つけられっこないんですよね。彼の言う「真理」とはすなわち「法則」だったのではないでしょうか。
To every action there is always opposed an equal reaction.
「どんな行動にも、必ずそれと等しい反対の反応があるものである」
これは非常に物理学的というか理科的な視点ですね。作用・反作用の法則なんていうものを思い出しました。(私は物理が苦手だったんですがねぇ……)
ですが、これは物理分野以外の場面でもいえることなのではないでしょうか。
芸能人のSNSでの発言に対して、「いいと思う!」「応援しています(*‘∀‘)」なんて反応が並ぶ中、「ちょっとそれは違うんじゃないかなあ」「やりすぎだと思う」なんて声が上がることも多いですよね。得てしてこういう場合は否定的な反応が目立ってしまい炎上――なんて結果を招く場合が多いのが悲しいところですが。
賛否両論、というのがこの言葉の核に隠されているように思えますね。
I can calculate the motion of heavenly bodies but not the madness of people.
「天体の動きなら計算できるが、群集の狂気は計算できない」
やはり偉大な科学者も、人間の非論理的な部分までは解明できなかったのですね。そう考えると、我々人間というのは非常に不可思議な存在なのかもしれません。
実はいつの時代でも、最も怖いのは「人間」なのかもしれませんね。
あとがき
いかがでしたでしょうか。
物理学や天文学など、なかなか日常生活の中では身近ではないと思ってしまいがちですが、それらすべてはその日常の中から見つけ出されたものばかりです。
理科が苦手だよという(私のような)方も、中学・高校時代を邂逅しながら復習してみるのも面白いかもしれませんね。
また会いましょう。
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